2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
前回は店のおやじさんがNGを配布したところで話が終わったのだが、このNGなるものをナムコが配布しているという事をここで初めて知った。 前回も書いたがそういった情報・知識を既に豊富に持っていた中学生がミッキーには来るようになっていて、 「キャロッ…
これは個人的な経験からくる個人的な見解なので、記事にはしているが軽く読み流して頂ければ幸いである。 全一には出方、出し方のいくつかの過程があるが、こういった経験もいくつかあったので、書き留めておくというぐらいの内容だ。 戦国エースでの全一争…
1984年の秋が終わる頃ぐらいから通うようになった地元足立区のゲームセンターミッキーは、1ゲーム20円~50円の料金で中学生の我らには行きやすいゲームセンターだった。 ナムコ黄金期は個人的にはドラゴンバスターが永パだった事で終焉を迎えたのではないか…
ゲームコーナーミッキーでの記憶で始まりのゲームは前回書いたB-WINGSぐらいからだ。 中学1年の4月~10月ぐらいまでミッキーではどうしていたかを、どうしても思い出せない。 この頃はまだ小学生時代から馴染んでいた駄菓子屋に行っていたのかも知れない。 …
先日昔から知り合いのスコアラーのK氏と会食をした。 K氏は私の地元足立区のサンシャインゲームセンターというところで知り合った。 ある日突然彼がサンシャインに現れ、スコアラーだったので話をするようになり、いくつかのゲームではハイスコアも争ったり…
中学生になってよくいくようになったゲームセンターはミッキーという足立区のゲームセンターだ。 これは中学校の学区の近辺ではなく、昔の小学校の学区の地域から近いところにあるゲーセンだった。 ゲーメスト誌の広告掲載で有名な、神保町のミッキーとは違…
普通の駄菓子屋ゲームの時代は小学校5~6年の頃だ。(1982年4月~1984年3月) この間で一度でもやったゲームとして記憶にあるのは、82年度は16タイトル、83年度は25タイトルだった。 年度という書き方にしたが、簡単に言い換えると5年生の時は16タイトル、6…
現在ちょっとした必要に迫られて英語の勉強をしているのだが、自宅で音声を繰り返し聴くタイプの教材で学習をしている。 音声は無情にも機械的にどんどん進んでいくわけだが、今日みたいな眠い日には頭がとてもついていかない。 眠くなくてもついていかない…
ハイスコアが貼りだしてあった、私にとって特別な駄菓子屋の【エヅレ】には小学校5年の途中からあまり行かないようになってきた。 小学校5年になってクラス替えがあったので、それまで一緒にエヅレに行っていたO君というクラスメートと違うクラスになったか…
全一を目指してハイスコアを出すとなると本当にプレイが雑になったり、細かいところはどうでもよくなることがある。 今回の記事ではハイスコアを目指していたものとしての自己弁護も含み、思い切り思い付きを書かせて頂きたいと思う。 ~~~~ビデオゲーム…
前回の続きです。 中学生が回数を沢山こなしてくれたり、他の駄菓子屋もしくはゲームコーナーでパターンや技を仕入れてきてくれるので、他のゲームと同様に先輩たちのパターンを真似していったので、苦も無く進めていけた。 自分としては正に作業という感じ…
言わずと知れたナムコ黄金期の名作の一つだ。 ナムコ黄金期とはいつなのか?・・・という言葉の定義の話だけでも盛り上がったりまとまらなかったりするテーマだが、そこは各人それぞれという事で良いと思う。 ちなみにここでは80~84年ぐらいまでの意味とさ…
エヅレで印象に残っているゲームは前回書いたパックマンと、他はドンキーコングとディグダグだ。 あとのゲームは普通にプレイをしたことがあるなぁというのをかろうじて覚えているぐらいで、特にこれといったエピソードは覚えていない。 ギリギリ記憶にある…
エヅレのおばちゃんに「ゲームはパターンを覚えるんだよ」という事を教わってから、 パックマンで先の面に行っている人で、パターンで面をクリアしている人のプレイはよ~く見るようにしていた。 エヅレの常連のパターンは本当にみな同じで、おばちゃんも当…
前回の記事を振り返ってみて、全一という言葉も「ゼンイチ」と読むか、「ゼンイツ」と読むかで意味は全然違って捉えられるが、 雑記18 :全一という言葉(あまりハイスコアっぽくない内容です) - ZBL-rajiame’s blog こじつけ、言葉遊び、ダジャレの範疇に…
▼全一https://bit.ly/2Jizm5i 今回はブログに書くまでもないかもしれない内容だ。 全一の読み方はもともと一般的には「ぜんいつ」で、上記にあるように 【全一(ぜんいつ)とは、完全に一つにまとまっていること、また、そのさま】だ。 私はスピリチュアル的…
人生初の「ハイスコア」はパックマンであった。 前回から話は続いているのだが、駄菓子屋【エヅレ】に貼りだしてあったハイスコアの紙に自分の名前が載ったと言うか、駄菓子屋のおばさんが書いてくれたゲームは、パックマンだった。 ▼ゲームと自分9 :運命の…
前回に続くのだが、小学3年生になってからは、私がよく行っていた駄菓子屋から他の駄菓子屋(以後【エヅレ】とさせて頂く)によく行くようになり、 ゲームをやる環境もそうだが目的もガラリと変わった。 何故ならば、エヅレという駄菓子屋にはハイスコアが貼…
前回バーニンラバーの記事を書いたのだが、これは私が初めてゲームをプレイした駄菓子屋での話だった。 この駄菓子屋での記憶はインベーダーとブロック崩しとアストロファイターとバーニンラバーなのだが、 アストロファイター(1979年)とバーニンラバー(1…
前回のアストロファイターに続くゲームはバーニンラバーだ。 これもアストロファイターと同様にデータイーストのゲームだ。 結構DECOはいいゲームを出していたのだなと今更ながらに関心だ。 いつもの駄菓子屋で印象に残っているのはこれが最後のゲームだ。 …
当ブログの中に【ゲームと自分】というカテゴリを作り、少しずつ自分の記憶を掘り起こしているのではあるが、 この作業を行っているとどうも話が細かすぎたり、書き切れなかったり、中途半端だったりして、書いている自分でも嫌になってしまうところがある。…
今ハイスコアをやれるゲーセンは都内だと意外といくつかはあるので、 昔話も良いのだが、今行けるゲーセンに行くことも大切なのではないかと思う今日この頃なのである。 いつでも、それこそ今でも行こうと思えば。。。 高田馬場ゲーセンミカド、池袋ミカド、…
データイーストの1979年の作品。ネットで少し調べるとDECO初のオリジナルゲームとある。 このゲームは近所の駄菓子屋に結構早めに設置されていた記憶がある。 駄菓子屋にはビデオゲームが3台あったのだが、インベーダー+ブロック崩し+アストロファイターの…
正式にはブレイクアウトというのか!という事を昔から知っているのではあるが、今でもそんな風に思ってしまう。 ブレイクアウトでもブロック崩しでも、どちらでも個人的にはイイという気持ち。 私にとってのブロック崩しとは、まずはそんな気持ちを抱かせて…
全然ゲームとは関係のない雑誌なのだが、私の愛読書だ。 「がん専門の精神科医が伝える絶望の中での希望」 という記事から以下を引用させて頂く。 「がん」という単語が3回出てくるが、これを「スコアラー」と置き換えても8割ぐらい違和感のない文章だったの…
このブログでも時々出てくるかつて存在したゲームセンターの、「パリティビット」の日常についてを少し書いてみようと思う。 パリティビットはスコアラー的な観点で特化して書くと、 G.M.C.のN氏やS氏、SPREAMのK氏、JAGのW氏、巣鴨のLくん、K氏、ATARI-のK…
もうスペースインベーダーについては書く事は無いと思ったのだが、最後に少しだけ心残りのつぶやきを。。 私もインベーダーでそこそこ長く遊べるようになって、9000点ぐらいは行くようになっていた。 1万点近くになったものだから、子供ながらに大満足だった…
前回の記事の続きで、「稼ぎ」について書いてみたいと思う。 --------------------【UFO稼ぎ】 インベーダーを画面上に8匹残しておくとUFOが通常通りに出てくれるので(7匹にすると出てくれなくなる)、 8匹残してあとは占領されない程度に、なるべくギリギリ…
自分とビデオゲームとの初の出会いは小学校1~2年生の時だ。 初めてプレイをしたゲームはインベーダーなのだが、その時の正確な年月の記憶が定かではない。 恐らくは小学校1年生の時だとは思うが、もしかしたら2年生であったかも知れない。 その初プレイは、…
「ブログをある程度整理した形で書きたいな」 と最近考えるようになった。 それならば、 「自分がやってきたゲームを時系列にまとめておく必要があるな」 と感じたので、 「初ゲームから今」に至るまでを回想してみようと思った。 「初ゲーム」がインベーダ…