中学生になってよくいくようになったゲームセンターはミッキーという足立区のゲームセンターだ。
これは中学校の学区の近辺ではなく、昔の小学校の学区の地域から近いところにあるゲーセンだった。
ゲーメスト誌の広告掲載で有名な、神保町のミッキーとは違うので、先にお断りしておく。(笑)
小学校時代(というか、幼稚園時代)から仲の良かったO君という親友かつゲーム仲間とよく行ったゲーセンだ。
このゲーセンではあまりにもいろいろな事が起こりすぎていたので書き切るまでには何か月かかるかわからないかもと心配をするぐらいだが、
なるべく多くの内容を何とか思い出して、自分にとって特に記憶に残っているエピソードを書いていこうかと思う。
このゲーセンで知り合ったゲーマー、ゲーム関連の仲間は今でも付き合いがある人が数名いる。
以前の記事でも書いたベーマガのライターをしていた高校生のゲーマー(スコアラーっぽくはない)もこの店で頻繁に顔を合わせていた。
とにかくこの店は記憶を全部掘り起こしたいぐらいに自分の人生の中では重要な時を過ごした場所だった。
大型筐体(当時はスターウォーズとか)、テーブル筐体合わせて100台近くビデオゲームが置いてあり、料金も20円~50円という事で私達にはピッタリのゲーセンだった。
営業時間も19時で終了で、店を閉める頃には店員さんとアットホームなやり取りをしてから帰宅をするという、非常に健康的なゲーセンであった。
風営法的な話で言うと、18時に中学生を帰らせることは全くやっていなかったので、健全というのは中学生から見た個人的な視点かも知れないが、とにかく居心地よく一日を過ごさせてもらった。
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この頃は人気ゲームを待つときに、クレジットをあらかじめ入れ込んでしまうという風潮があったのだが、私がB-WINGSをやっている時にも待っているプレイヤーが次のクレジットが入れて待っていた。
その時、店の台数が非常に多いためだろう、店内のブレーカーが落ちて全部のゲーム台の電源が落ちてしまった。
店内のお客さんがみなシーンとしてカウンターの方を見ると、
「今プレイをしている人はお金返しますから、こちらに並んで(プレイしている)ゲームを教えてくださーーい!」と、店内に告げていた。
私とクレジットを入れ込んでいた少年は一緒に並んで、「B-WINGSやってました」と伝え、二人ともお金を返してもらってから、再び私たちはB-WINGSを始めていた。その時その少年と私は何故か2PプレイでB-WiNGSを始めていた。
この少年は一つ下のOという少年だった。当時は小学生だったはずだが、後にこのゲームセンターの近所の中学校の生徒になって再び現れた。
O君は私がミッキーで知り合いになった同学年のゲーム仲間の、1年後輩の中学生として登場していた。
このO君とは今でも私の1番目の子供が産まれた時に病院に駆けつけてくれたぐらいの付き合いとなっているのだが、
こう書くと美しい話しのように見えるのだが、この彼の話は一旦ここまでとさせて頂いて、他の出来事についてをこれからは書いていきたいと思う。
・・・・O君については知っている人は知っているとは思うけど、詳細を書くのはやっぱり憚られちゃうんだよな~~と、少し弱気です。( ̄▽ ̄)
ZBL-rajiame 拝