ゲームとハイスコアとスコアラーのブログ

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ゲームと自分19 :ゲームコーナーミッキー -3

1984年の秋が終わる頃ぐらいから通うようになった地元足立区のゲームセンターミッキーは、1ゲーム20円~50円の料金で中学生の我らには行きやすいゲームセンターだった。

 

ナムコ黄金期は個人的にはドラゴンバスターが永パだった事で終焉を迎えたのではないかと思っているのだが、ドラゴンバスターが発売する直前の頃だったと思う。

 

ゲームは前回の記事にも挙げたB-WINGSや忍者くん、パックランド、ドルアーガの塔、グロブダー、ギャプラス、エクイテス、スプレンダーブラスト、アッポー、リブルラブル、10ヤードファイト、バスター、スターウォーズ・・・等、新旧を織り交ぜて沢山のゲームが置かれていた。

 

よくやっていたのはドルアーガ、忍者くん、B-WINGS、パックランドにドラゴンバスターといったところだった。

 

何かのゲームで遊んでいて、1か月もすれば新作ゲームがどんどん供給される時代だったから、やるゲームには事欠かなかった。

 

パックランドでは足立区らしく(?)、さらしを巻いた氣志團風のおねーちゃんがずっとパックランドをやっていて、60万点ぐらいは行っていたので普通に1周はしていたと思う。

 

いわゆる番〇面(29面)も普通にコンパネを隠さずにインキーに乗っかっていた。(笑)

 

沢山ゲームがありすぎていたので、新作が置いてあった50円のエリアに近づき難いお客さんがいた時には、ちょっと古くなった20円ゲームのエリアで時間を潰したものだった。

 

このミッキーに行き始めの頃は幼稚園、小学校からの幼馴染みのO君と毎日通っていて、通っているうちに駄菓子屋エヅレ時代の店の常連にも遭遇するようになっていた。

 

エヅレ時代に少しだけ顔を合わせていたぐらいのやり取りだった彼は、S君という2つ年上のゲーマーだった。

 

S君は、「このゲームはおススメだよ」と、いろいろとゲームを勧めてくれて、それらのゲームがナムコのゲームばかりであることに気が付いた。

 

「同じメーカーのゲームなんだね」と私が言うと、

 

「そうだよ。ナムコだからおススメするんだ。」

 

と、ナムコというメーカーが名作を連発しているメーカーだとは知らなかった私なので、「そうなんだ~~」ととりあえず頷いていた。

 

振り返って書くとナムコというメーカーを認識していたように錯覚している自分がいるが、「ナムコというメーカー」を意識したのは確かこのS君の一言からだったと思う。

 

当然ながらセガとかタイトー等も全然意識をした事は無かった。

 

そしてこの頃からマイコンベーシックマガジンも買って読むようになり、ゲーム攻略のページで明確にメーカーが書かれているのでその辺りからどのメーカーがどういうゲームを出しているという事を理解するようになってきた。

 

その頃入れ込んでいたドルアーガやパックランドがナムコから出ているという事も知って、「なるほど、面白いゲームを出すメーカーだな」と、急にナムコ贔屓になった。

 

ミッキーはまだ開店間もないゲーセンだったので、店の外には花輪が飾られていて、ナムコからの花輪もあったような記憶がある(のだが、これは違うかも知れない)。

 

ゲームセンターの経営会社がナムコとは結構仲が良かったと思われ、ナムコの季刊誌のNGも開店時から沢山事務所にあったらしいのだが、

 

お店側も特に気にもしていなかったので店員のおやじさんは「ほとんど廃棄した」と言っていた。

 

後になって自分の店舗にゲームファンが結構いるという事を理解した様子で、廃棄し切れていなかったNGの7号を3冊ぐらい、「欲しかったら持っていってもいいよ。」と放り投げるように配ってくれた。

 

恐らく6号の時期はまだ開店していなかったのだが、6号は表紙がドルアーガのモノなのだと後から知ってメチャメチャ欲しくなったのだが、ナムコがこのような季刊誌を出している事自体をこの時に知った。

 

この辺りから少し遠くの中学生もこのゲームセンターを訪れてくるようになり、NGの存在も元々知っているし、それどころかVG2の会員だという、今思うと中学生ながらかなりの強者が現れるようになっていった。

 

こうして徐々に情報網が広がっていくのだが、ナムコというメーカーとNGの存在を知ったこの頃は私のゲーム知識の進化の区切りの一つでもあるので、

 

今回の稿はこの辺りで完了とさせて頂くのである。

 

ZBL-rajiame 拝

 

▼NG(ゲーム情報誌)

NG (ゲーム情報誌) - Wikipedia