ハイスコアが貼りだしてあった、私にとって特別な駄菓子屋の【エヅレ】には小学校5年の途中からあまり行かないようになってきた。
小学校5年になってクラス替えがあったので、それまで一緒にエヅレに行っていたO君というクラスメートと違うクラスになったからだ。
このO君は私が中学生になってからゲーセンに通うようになってからまた登場するのだが、5年生になってO君でないゲーム好きと遊ぶようになってからは他の駄菓子屋に行くようになっていた。
エヅレで最後に記憶にあるゲームはセガのチャンピオンベースボールで、これも中学生のO君(O君が多くて混乱するのだが)がセカンドにランナーを置いたらバントのみで永久に点数が入る方法で遊んでいて、(これは今思えば永パであろう)
これは真似をしようとしたが2~3回やって上手くいかなかったので諦めた。
そして永パのような状況を見させられたためか、ゲームに面白みを感じなくなり、チャンピオンベースボールはほとんどやらなくなってしまった。
永パの功罪か。
そして最終的なきっかけは定かではないのだが、いつしかエヅレには行かなくなっていた。
ネタ的にはお店の息子のエヅレくんが高校受験に失敗して駄菓子屋の奥で荒れ狂っている姿をよく見るようになってみんな来なくなっていたので、それでフェードアウトをしたような気もしたのだが、
エヅレでやっていたゲームの時代とエヅレ君の年齢を計算すると、その後もみんな戻ってきてゲームをやっていたはずであるので、話的にはエヅレくんを理由にしたかったが違っていた。(蛇足ですね)
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ハイスコアのない普通の駄菓子屋に行くようになって、むしろ様々な駄菓子屋を探索するようになった。
この頃ぐらいからプレイしたことがあるゲームがかなり増えていった。
しかしやはりハイスコアが貼りだしていないので普通にゲームをやるだけだから、スコアラー的観点からすると全然ダメな状況だった。
しかしそんな視点は小学生の時代にはないので、当時は広く浅くたくさんのゲームをやっていて楽しかったのと、駄菓子屋仲間とはいつも小遣いが足りずに金がない金がないとぼやいていた。(笑)
このお小遣いが無い時代の駄菓子屋仲間の一人が、何本か前のブログにも書いたストIIダッシュの大会で池袋プレイランドラスベガスでベガで優勝をしていたS君だった。
まさかストIIダッシュまでゲームをやっていたのをゲーメスト誌上で発見して、当時非常に驚いたのを覚えている。
彼を含めて3人もしくは4名でグループを作って駄菓子屋に行ったり、それぞれの家に行って遊んだり等していたが、
このグループは今でいう完全なオタクチームだったので、ここでもその後にゲームマニアになる下地は育っていたのかなとも思う。
時代は1983年~84年の頃で、毎日平和に時間つぶし&身近な娯楽としてゲームを楽しんでいたわけだが、
この頃のハイスコア業界はちょうどゼビウスが流行ったりベーマガのスーパーソフトマガジンが出来たりだったりで、最高潮に盛り上がっていた時期なのではないかと思う。
残念ながらその最高潮の時代には、私は普通に駄菓子屋で楽しくゲームをやっていただけなんだよな・・
と思いつつ、今回の稿を終わらせて頂くのである。
※楽しくゲームをやっていたならいいじゃないか!!とも思いました。(笑)
ZBL-rajiame 拝