前回に続くのだが、小学3年生になってからは、私がよく行っていた駄菓子屋から他の駄菓子屋(以後【エヅレ】とさせて頂く)によく行くようになり、
ゲームをやる環境もそうだが目的もガラリと変わった。
何故ならば、エヅレという駄菓子屋にはハイスコアが貼りだしてあったからだ。
ゲームセンターあらしにも漫画の中で描かれていたが、駄菓子屋のおばちゃんがハイスコアを紙に貼りだしてくれているゲーセンが、
本当にこんなに近所にあったんだ!と感激して、
「いい駄菓子屋を教えてもらったな」
と思った。
私が通っていた小学校は当時1,2年、3,4年、5,6年と、2年ごとにクラス替えがあったのだが、3年の時に一緒になったのが、
幼稚園で仲良くしていたO君とA君だった。
幼稚園で仲が良かった私達3名は1学期の班決めで迷うことなく同じ班のメンバーとしてくっついた。
そしてこのO君、A君にこの【エヅレ】に連れていかれて、「ハイスコアの貼り紙」に遭遇したという訳である。
初エヅレの時のゲームはパックマンとムーンクレスタと他の何か1台のゲームが設置されていた。
エヅレは駄菓子屋店内にテーブル筐体を3台配置させた店構えでメチャメチャ狭く、
2P側に座るときはテーブルの上をはいつくばっていかないと座れないほど3つの台を詰め込んでいた。
パックマンは他の店でもやってはいたので見覚えはあったのだが、ムーンクレスタについては未知のゲームだった。
パックマンのハイスコアは24万点だったと記憶しているが、同じ小学校の3つぐらい上の学年のO君という少年だった。
こちらのO君は既にエヅレの常連の中でも「ゲームが上手いよね」という事になっているらしく、みんなには「バオー」と呼ばれていた。
単に苗字を逆から読んだだけだったが。(笑)
バオーはゲームをやりすぎだったのか、担任だか校長先生から直接お叱りを受けていたらしく、タンクバタリアンを最後にエヅレには来なくなっていた。
タンクバタリアンの時はもうゲームをやれないという悲壮感が漂っていたように見えていたのだが、あまりプレイが出来なかったゲームにも関わらず
近接正面撃ちの6400点(3200点だったか?)をいとも簡単そうにGETしていたのが印象的だった。
周りの仲間も、「さすがバオーだね」と納得しながらも、バオーの事情も知っていたので気を使っているようにも見えた。
そして本当にバオーはとうとうエヅレに来なくなったのだが、エヅレのおばさんが、
「もしもウチに校長先生がきたら、ウチでゲームやっている子はみんないい子で成績もみんないいんです!って、追い返してやるからね」
と、ゲームをやる私たちを守ろうとしていた。
このおばさんもハイスコアが好きで自分のパックマンのスコアを紙に貼りだしていたぐらいなので、
「このおばさんはゲーム好きでボクらの味方なんだな」
ぐらいには思っていた。良い環境である。(笑)
・・・という中途半端な所なのではあるが、
今回の稿は以上までとさせて頂くのである。
ZBL-rajiame 拝
▼タンクバタリアン
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