ゲームとハイスコアとスコアラーのブログ

ゲーセンゲームのハイスコアとスコアラーに特化したブログです。

ゲームと自分

ゲームと自分25 :他人のスペックを気にするな

▼他人のスペックを気にするなhttps://bit.ly/2KD7QzA 普段購読(無料ですが)しているメルマガに送られてきた動画です。 ハイスコアとか自分にもぴったり重なるので記事にさせて頂きました。^o^; ハイスコアが他人との闘いではなく自分との闘いの時代になっ…

ゲームと自分24 :ハイスコアラー.netと自分

このブログのドメインはhigh-scorer.netなのですが、これはドメイン検索をしていてhigh-scoreとかhighscoreが埋まっていて、いくつか検索をかけてみて、 「high-scorer.netって空いているのか」 と思ったタイミングがあって、それでそのまま「high-scorer.ne…

ゲームと自分23 :ゲームコーナーミッキー -7

ハイスコアボードも設置してくれた。 お店がハイスコアにそれほど熱心でないので何となくつまらないのも確認ができた。(苦笑) 友人といろいろな都心のゲームセンターにも行くようになった。(ミッキーはその前段の集合場所的な存在になった) ・・・と、少し…

ゲームと自分22 :ゲームコーナーミッキー -6

少しの間ブログのこのカテゴリから離れていたが、見返してみるとあと書きたいことが少しだけあったのを思い出した。 ゲームコーナーミッキーにハイスコアボードを設置してもらった時のエピソードだ。 ミッキーは開店半年後ぐらいでハイスコアボードを設置し…

ゲームと自分21 :ゲームコーナーミッキー -5

1984年の年末からついに電車に乗ってゲームセンターに行くという経験を積んだため、 それ以降は日曜日になると月に一回ぐらいは都内に遠征に行くようになっていた。 頻度的にはもっとだと思うが、記憶的には月に一回ぐらいという認識だ。 ゲームコーナーミッ…

ゲームと自分20 :ゲームコーナーミッキー -4

前回は店のおやじさんがNGを配布したところで話が終わったのだが、このNGなるものをナムコが配布しているという事をここで初めて知った。 前回も書いたがそういった情報・知識を既に豊富に持っていた中学生がミッキーには来るようになっていて、 「キャロッ…

ゲームと自分19 :ゲームコーナーミッキー -3

1984年の秋が終わる頃ぐらいから通うようになった地元足立区のゲームセンターミッキーは、1ゲーム20円~50円の料金で中学生の我らには行きやすいゲームセンターだった。 ナムコ黄金期は個人的にはドラゴンバスターが永パだった事で終焉を迎えたのではないか…

ゲームと自分18 :ゲームコーナーミッキー -2

ゲームコーナーミッキーでの記憶で始まりのゲームは前回書いたB-WINGSぐらいからだ。 中学1年の4月~10月ぐらいまでミッキーではどうしていたかを、どうしても思い出せない。 この頃はまだ小学生時代から馴染んでいた駄菓子屋に行っていたのかも知れない。 …

ゲームと自分17 :ゲームコーナーミッキー -1

中学生になってよくいくようになったゲームセンターはミッキーという足立区のゲームセンターだ。 これは中学校の学区の近辺ではなく、昔の小学校の学区の地域から近いところにあるゲーセンだった。 ゲーメスト誌の広告掲載で有名な、神保町のミッキーとは違…

ゲームと自分16 :普通の駄菓子屋時代のゲーム

普通の駄菓子屋ゲームの時代は小学校5~6年の頃だ。(1982年4月~1984年3月) この間で一度でもやったゲームとして記憶にあるのは、82年度は16タイトル、83年度は25タイトルだった。 年度という書き方にしたが、簡単に言い換えると5年生の時は16タイトル、6…

ゲームと自分15 :普通の駄菓子屋に戻る

ハイスコアが貼りだしてあった、私にとって特別な駄菓子屋の【エヅレ】には小学校5年の途中からあまり行かないようになってきた。 小学校5年になってクラス替えがあったので、それまで一緒にエヅレに行っていたO君というクラスメートと違うクラスになったか…

ゲームと自分14 :ディグダグ -2

前回の続きです。 中学生が回数を沢山こなしてくれたり、他の駄菓子屋もしくはゲームコーナーでパターンや技を仕入れてきてくれるので、他のゲームと同様に先輩たちのパターンを真似していったので、苦も無く進めていけた。 自分としては正に作業という感じ…

ゲームと自分13 :ディグダグ -1

言わずと知れたナムコ黄金期の名作の一つだ。 ナムコ黄金期とはいつなのか?・・・という言葉の定義の話だけでも盛り上がったりまとまらなかったりするテーマだが、そこは各人それぞれという事で良いと思う。 ちなみにここでは80~84年ぐらいまでの意味とさ…

ゲームと自分12 :ドンキーコング

エヅレで印象に残っているゲームは前回書いたパックマンと、他はドンキーコングとディグダグだ。 あとのゲームは普通にプレイをしたことがあるなぁというのをかろうじて覚えているぐらいで、特にこれといったエピソードは覚えていない。 ギリギリ記憶にある…

ゲームと自分11 :パターン作り

エヅレのおばちゃんに「ゲームはパターンを覚えるんだよ」という事を教わってから、 パックマンで先の面に行っている人で、パターンで面をクリアしている人のプレイはよ~く見るようにしていた。 エヅレの常連のパターンは本当にみな同じで、おばちゃんも当…

ゲームと自分10 :ハイスコアデビュー

人生初の「ハイスコア」はパックマンであった。 前回から話は続いているのだが、駄菓子屋【エヅレ】に貼りだしてあったハイスコアの紙に自分の名前が載ったと言うか、駄菓子屋のおばさんが書いてくれたゲームは、パックマンだった。 ▼ゲームと自分9 :運命の…

ゲームと自分9 :運命の駄菓子屋【エヅレ】

前回に続くのだが、小学3年生になってからは、私がよく行っていた駄菓子屋から他の駄菓子屋(以後【エヅレ】とさせて頂く)によく行くようになり、 ゲームをやる環境もそうだが目的もガラリと変わった。 何故ならば、エヅレという駄菓子屋にはハイスコアが貼…

ゲームと自分8 :運命の駄菓子屋

前回バーニンラバーの記事を書いたのだが、これは私が初めてゲームをプレイした駄菓子屋での話だった。 この駄菓子屋での記憶はインベーダーとブロック崩しとアストロファイターとバーニンラバーなのだが、 アストロファイター(1979年)とバーニンラバー(1…

ゲームと自分7 :バーニンラバー

前回のアストロファイターに続くゲームはバーニンラバーだ。 これもアストロファイターと同様にデータイーストのゲームだ。 結構DECOはいいゲームを出していたのだなと今更ながらに関心だ。 いつもの駄菓子屋で印象に残っているのはこれが最後のゲームだ。 …

ゲームと自分6 :アストロファイター

データイーストの1979年の作品。ネットで少し調べるとDECO初のオリジナルゲームとある。 このゲームは近所の駄菓子屋に結構早めに設置されていた記憶がある。 駄菓子屋にはビデオゲームが3台あったのだが、インベーダー+ブロック崩し+アストロファイターの…

ゲームと自分5 :ブロック崩し

正式にはブレイクアウトというのか!という事を昔から知っているのではあるが、今でもそんな風に思ってしまう。 ブレイクアウトでもブロック崩しでも、どちらでも個人的にはイイという気持ち。 私にとってのブロック崩しとは、まずはそんな気持ちを抱かせて…

ゲームと自分4 :スペースインベーダー:3

もうスペースインベーダーについては書く事は無いと思ったのだが、最後に少しだけ心残りのつぶやきを。。 私もインベーダーでそこそこ長く遊べるようになって、9000点ぐらいは行くようになっていた。 1万点近くになったものだから、子供ながらに大満足だった…

ゲームと自分3 :スペースインベーダー:2

前回の記事の続きで、「稼ぎ」について書いてみたいと思う。 --------------------【UFO稼ぎ】 インベーダーを画面上に8匹残しておくとUFOが通常通りに出てくれるので(7匹にすると出てくれなくなる)、 8匹残してあとは占領されない程度に、なるべくギリギリ…

ゲームと自分2 :スペースインベーダー:1

自分とビデオゲームとの初の出会いは小学校1~2年生の時だ。 初めてプレイをしたゲームはインベーダーなのだが、その時の正確な年月の記憶が定かではない。 恐らくは小学校1年生の時だとは思うが、もしかしたら2年生であったかも知れない。 その初プレイは、…

ゲームと自分1 :自分のゲーム履歴を考える

「ブログをある程度整理した形で書きたいな」 と最近考えるようになった。 それならば、 「自分がやってきたゲームを時系列にまとめておく必要があるな」 と感じたので、 「初ゲームから今」に至るまでを回想してみようと思った。 「初ゲーム」がインベーダ…