全一を目指してハイスコアを出すとなると本当にプレイが雑になったり、細かいところはどうでもよくなることがある。
今回の記事ではハイスコアを目指していたものとしての自己弁護も含み、思い切り思い付きを書かせて頂きたいと思う。
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ビデオゲームの全一というものはもちろん実力的に上手いプレイヤーがトップになることも多いが、そうでもない場合も多数ある。というか、ほとんどがそうだと思う。
あるゲームタイトルで、上手さは全一の人以上の腕前はあるが、実際に全一を獲っている人や、最終スコアを保持している人は大抵がその「ベストに上手い人」と同一ではない。
どのジャンルでもそんなものだろうから、それはそれで良いと思う。
どのジャンルでも技術力、精神力、体力と時の運をモノにした者が、頂点を制する。(そしてアーケードゲームは財力も。。(笑))
ハイスコアは人口が非常に少ないから、ちょっとした戦略でも全一というものが取れたりもするのだが。(ただし人気ゲームは実力のある限られたプレイヤーの間での勝負となる)
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その辺りの話はさておき、今回一番書きたかったのはタイトルでもある通りに、画家のピカソの事についての思い付きである。
ピカソは抽象を書くようになって以降も、若かりし頃のようなデッサンの上手なお手本のような作品を書く気になっただろうかという事である。
何故こんなことを思ったかというと、スコアラーも若かりし日は基本的な事がそこそこ上手かったプレイヤーが多かったのではないかと思うのだが、
全一を目指すようになってむしろ下手になったというか、自分の良いところを捨てたり、点数の為に無理矢理自分の枠を超えた点数稼ぎをしてグダグダになって行く。。
そういった経験をしたことがあるスコアラーは沢山いると思うのだが、そうなった時に、「昔のようにハイスコアはともかく、地道に実力をつけるプレイをし直す」行為が出来るのだろうかと思ったのである。
ピカソはある時期からは、「上手い下手でなく、思った事、本質的な事、自由なものを表現する事」というような心境に至ったように見えるのだが、そういった心境になった時に、「初心には戻るのかな?」と思ったのである。
私が思うよりも、芸術家や芸術を学んだ方々や評論家の方々が、正確に説明をする事は出来るとは思うのだが、私が足りない頭で思ったり考えたりするのも自由だ。(笑)
ハイスコアも全一というか、なるべく究極の点数を目指していくと、上手さの追求よりも「真実の追求」に近い行為をする事となる(時がある)。
前にも書いたがそうして「これが答えだな」と思えるようなプレイに至った時に、私はそこに非常に美しいものを見出すのである。
まぁ、こういった個人的な思い込みから、ピカソとかなんとかは実際にはよくわかっていないのだが、こんな私でも芸術の分野にも興味を持てるようになってきたという訳である。
・・・と書くと話が無理矢理ハイスコアに繋がりそうなのでカッコいいのだが、本当は嫁さんに昔無理矢理連れていかれた美術館の絵を見ているうちに、芸術とか画家とかについて、いろいろと思うようになっただけなのかも知れない。(笑)
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とめどなく思い付きが頭を巡らせてくるので、今回も徒然書きはこの辺りで締まりのないままに終了とさせて頂くのである。
ZBL-rajiame (拝)