前回バーニンラバーの記事を書いたのだが、これは私が初めてゲームをプレイした駄菓子屋での話だった。
この駄菓子屋での記憶はインベーダーとブロック崩しとアストロファイターとバーニンラバーなのだが、
アストロファイター(1979年)とバーニンラバー(1982年)の間が空き過ぎていて、
「この空白期間に遊んでいたゲームって、なんだったっけ?」
と疑問に思い、例のごとく石井ぜんじさん著の、【石井ぜんじを右に!】のアーケードゲーム総覧を見ながら確認をしてみた。
◆石井ぜんじを右に!
https://amzn.to/2VSSiZR
アストロファイター以降のゲームで一度でもプレイをしたことがあるゲームをチェックしてみると、
◆1979年
ギャラクシアン
平安京エイリアン
スペースウォー
◆1980年
アステロイド
ドラキュラハンター
ラリーX
クレイジーバルーン TT(テーブル筐体版)
アステロイド
ルパン三世 TT
海底宝探し
トランキライザーガン
ムーンクレスタ
パックマン
ミサイルコマンド TT
キング&バルーン
サスケVSコマンダー
タンクバタリアン
クレイジークライマー
スペースパニック
◆1981年
ルート16
スクランブル
リバーパトロール
ドンキーコング
ファンタジー
ボスコニアン
ジャンプバグ
ザ・ハングリーマン
◆1982年
ザクソン
アミダー
ガッタンゴットン
ディグダグ
ノーティーボーイ
カンガルー
ムーンパトロール
スイマー
ドンキーコングジュニア
ハンバーガー
スーパーパックマン
ペンゴ
ポールポジション
プーヤン
タイムパイロット
バーニンラバー (※ やっと出てきた!!)
スーパーロコモウティブ
ポパイ
ミズパックパン
・・・と、少々沢山ありすぎになった。
これらのゲームは近所の様々な駄菓子屋に分散されて設置されていた。
我ら世代ならばきっとそうだと思うのだが、友達と一緒に新しい駄菓子屋を見つけては、
「ここにはこんなゲームがある!」
と喜んでやっていたものだった。
駄菓子屋だと最小で1台、最大になると駄菓子屋本店とは少し離れたところにゲーム専用のプレハブ小屋があり、そういうプレハブ小屋に15台ぐらいあったりしたものだが、
そんな台数の多い駄菓子屋を発見した時には「いい店発見したなぁ!」と、仲間と一緒に喜んだものだった。
ゲームセンターでもダライアスやファンタジーゾーンは都内のナムコのロケーションにはなかったりとか、
ATARIのゲームはメーカー系だとナムコのロケーション以外ではなかなかなかったりとかあったので、
中学生時代もそういった「このゲーム、この店にあるよ!」的なゲーセン探しは行ったもので、
我らの世代はずっとそんな感じで沢山あったゲーセンというロケーションを楽しんでいたのではないかと思う。
~~~~
上記いろいろなゲームを近所のいろいろな駄菓子屋でやっていたのだが、
私がゲームデビューをした駄菓子屋の次に、メインで行くようになった駄菓子屋がある。
主に私が小学校3~4年生の頃で、その駄菓子屋こそが今の私の人格形成に大きく影響を与えた【エヅレ】という駄菓子屋だった。
そこのおばちゃんがハイスコアを貼りだしてくれていたという、もう本当に今の私の原点となる駄菓子屋だった。
詳細はまた次回以降の記事で書かせて頂くのだが、
「何だか、まるでノーコンキッドのゲームセンターワタナベみたいだな」と自分で思いつつ、
今回の稿を終わらせて頂くのである。
ZBL-rajiame 拝
▼ノーコン・キッド ぼくらのゲーム史
https://bit.ly/2qLwmFA