ゲームとハイスコアとスコアラーのブログ

ゲーセンゲームのハイスコアとスコアラーに特化したブログです。

雑記17 :井の中の蛙っぽい話

当ブログの中に【ゲームと自分】というカテゴリを作り、少しずつ自分の記憶を掘り起こしているのではあるが、

 

この作業を行っているとどうも話が細かすぎたり、書き切れなかったり、中途半端だったりして、書いている自分でも嫌になってしまうところがある。

 

そこでもう少し大雑把にゲーム人生の中で印象に残ったことを書いてみようかと思い、この雑記を書いている。

 

まずは小学生時代に初遭遇した、ベーマガのチャレンジハイスコアのコーナーの事から。

 

~~~~
小学生の頃はゲームをやるにしても学校から帰って公園で野球とかサッカーとかをやる休憩時間に駄菓子屋に行って、

 

その時ついでにゲームをやるというのが基本だったとは思うのだが、

 

このブログを書いているうちにゲームをやるのが目的だった日も多くあったなというのも思い出していく。

 

小学校高学年にもなると、クラスメートの中にもゲームが好きなオタク系のグループが固まっていったので、そういう仲間とゲーム目的で駄菓子屋に行くようになっていたのだ。

 

(ちなみにこの頃はまだオタクという単語は一般的でないのと、自分たちも耳にはしていなかった)

 

私の悪い癖はこうして書いているうちにあれもこれもと、話を脱線させてしまい、自分が何を書きたかったかが解からなくなっていくという事だ。

 

今も、

 

「そういえば小5~6の頃に一緒に駄菓子屋に行っていた仲間は、ストIIダッシュの池袋プレイランドラスベガスの予選で優勝をしていたなぁ」

 

というのを思い出して、脱線と思いつつも、ついついそれを書きたくなってしまう自分がいる。(苦笑)

 

ゲーメストのストIIダッシュの池袋ラスベガスの優勝者の本名をみて、

 

「あ~、小学校の時に一緒にゲームしていたS君じゃないか」と思っていたという、ただそれだけの話なのだが。。


~~~~
・・・と、このように初めから脱線だ。

 

今回書きたいのはベーマガのチャレンジハイスコアのコーナーで遭遇した、ゼビウスの話がメインだ。

 

話を続けると、その小6の頃に近所のプラモデル屋にゼビウスが入っていたので、

仲間とそのプラモデル屋にプラモデルは買わないがゼビウスをやりにおおよそ毎日通っていた。

 

その頃は頑張って攻略を進めても、3~40万ぐらいで毎回終了という程度の腕前だったと思うが、

 

周りも大体同じような感じで、末尾の数千点とか数万点の点差で誰が一番だどうだと競っていたものだった。

 

しかし、そんなボクらにある日クラスメートのT君がお兄さんが買っているというベーマガの付録を持ってきて、

 

「ゼビウス、スゴイ点数行く人がこんなに沢山いるよ!!」

 

と見せてくれた。

 

私は、「何これ~~!」と驚き、「信じられない世界だなぁ・・!」というのと、

 

「上手い人ってこんなにいるんだ!すごいんだなぁ~~。」と、完全に自分の下手さを植え付けらる事となってしまった。

 

向上心あるプレイヤーならばたとえこのように打ちひしがれても、、「これはどうやるんだろう?!」等となって、

 

いろいろ情報を集めたり等の努力を行うのだろうが、小6の私は「9」の数字が沢山並ぶゼビウスの全一リストを見て、

 

やる気が起こるという気持ち等は一切湧き上がらなかった。

 

別世界過ぎて、やる気を起こす以前の世界に見えたというのが正解な所であろう。

 

~~~~
インベーダーやアストロファイターの記事では結構やる気のある小学生に見えるような内容で書いたのだが、

 

私がやる気があったのはハイスコアを貼りだしてあった駄菓子屋に通っていた、小学3~4年の頃までだった。

 

ゲームで言うと1981~82年のパックマン、ドンキーコング、ジャンプバグ、ディグダグ、ペンゴ・・・ぐらいの頃だ。

 

そうやって自分の記憶を掘り起こしてみると、確かにハイスコアを貼りだしてあった駄菓子屋では、

 

マッピーやゼビウス(共に1983年)等はプレイしていなく、上記のプラモデル屋でプレイをしていた。

 

プラモデル屋にはハイスコアの貼りだしは無かったので、元通りの普通にゲームを楽しむ毎日だったのだなと、

 

書きながらに思い出していくのである。

 

私にとってはそういった【ハイスコア空白期間】にクラスメートがゼビウスの全一リストを見せてくれたものだから、

 

「凄い!」とは思いつつ、もう別世界の出来事になっていたのだなと、自分の過去を掘る作業が進んでいくのである。

 

環境は大事であるし、以前のブログにも書いたが、自分の記録をメモしていくだけで自ずと数字は伸びるものである。

 

小5~6の期間はハイスコアを貼りだしてある駄菓子屋でなく、ハイスコアを貼りだしてない駄菓子屋やプラモデル屋(まぁ、普通は貼りださないが)に行くという環境だったから、

 

ベーマガに掲載されたゼビウスの全一リストに対して、淡白な反応をしていたのだなと気が付ついた。

 

~~~~
その後、私の家は小6の頃に同じ足立区内ではあるが引っ越しをしたので、中学校は小学校時代のクラスメート達とは離れ離れとなった。

 

ほとんど転校生のような状況で中学校時代を過ごすわけだが、中学1年の時のクラスメートがたまたまやる気のあるゲーセンに連れて行ってくれたのと、


(※ そこはCPMという足立区のゲームサークルの会長がよく行っていたゲーセンであった。)

 

小学生時代に一番仲の良かった友人が、中学時代もわざわざ私の家にまで遊びに来てくれて、

 

彼が何故かベーマガの愛読者だったというところから、私のハイスコア熱が再燃する機運が高まったのである。

 

まだブログには書いていないが、「ハイスコアを貼りだしてあった駄菓子屋」時代にはハイスコアを競いに小学校高学年~中学生ぐらいのゲーマーが集まっていた。

 

上記のベーマガ愛読者の友人や、ハイスコアの駄菓子屋に通っていた2~3学年上ぐらいの小学生も、

 

中学時代に行くようになった上記地元のゲーセンでまた再会をして、再び一緒にゲームをするようになっていった。

 

~~~~
話を今回の記事の題名までに戻すと、

 

「自分って結構上手いかも!」

 

と、思い込んでいた小学2~4年生頃までがあり、5~6年生の時代には普通にゲームを楽しむ自分となったが、

 

「上には上が果てしなく居そうな世界」に、ついに中学生の頃に足を踏み入れていくのであった。

 

まぁ、中学時代のゲーム生活は稿を改める事になるが、何事も向上心を持って事を為そうとすると、

 

「井の中の蛙」という言葉が、初めて浮き彫りになるのだなと思ったのと、

 

今の自分の視点を持ってすると、当時の中学生の私には声を大にして言いたいのは、

 

「上手くないのに無理しちゃいけないぞ!」

 

ということであった。(笑)

 

いつもながらくどい内容になり大変恐縮なのではあるが、今回の雑記はこれまでとさせて頂く。

 

(どうにも大雑把に書けなくて失礼。。。(´・ω・`))

 

ZBL-rajiame (拝)

f:id:ZBL-rajiame:20190311105829p:plain

ゼビウス全一_ベーマガ集計サイトより