昔は「スコアラー」という単語でなく、ベーマガのチャレハイにある通り、「プレイヤー」という単語で、ゲームをする人達・楽しむ人達を、私は捉えていた。
ただ、KSD:(関東スコアラー同盟)という同人誌を作っているときにハイテクセガ高崎の某スコアラーに、
「プレイヤーでなくてスコアラーにした方がいい」
と、紙面について指摘があったので、「ああ、そういう呼び方の方がいいんだな」というところから
「スコアラー」という単語でプレイヤーのことを表すようになった という経緯が私にはある。
それまではスコアラーという単語を使用する事を拒んでいて、「プレイヤー」の方が良いと思っていた。
上記指摘をうけてから、「こだわるプレイヤーは、『俺たちはただ単にゲームやってるんじゃないよ』という意味合いを込めて『スコアラー』って呼んでいるんだな。」
と思ったものである。
・・・と、前書きはさておき、そのKSDを作るようになってからもそうだったが、作る前もそこそこの数のスコアラーと出会って交流はしていた。
スコアラーという単語を一応「雑誌のハイスコア集計に参加をするアーケードゲームプレイヤー」というように、この記事では定義をしておこう。
以下の記事でもそうしていたようだ。
プレイヤーでなく、スコアラーという観点として考えてみると、私が初めて遭遇した「スコアラー」と呼べよう人は、地元足立区にいたCPMというサークルのSHOさんであろう。
私が彼に出会った当時、既にベーマガのライターをしていたのだから私にとっては非常に早熟な方である。(笑)
私が中学1年の頃であった。
この方とは地元の幾つかのゲーセンで顔を合わせることになる。
彼も私もよく近所のゲーセンをうろついていたからであろう。
地元の3つ4つのゲーセンで良くバッタリと顔を合わせたものであった。
初対面の時に彼が作っていたドルアーガの攻略本を買ったという経緯から、VG2という存在を知るようになったのだが、この頃から私は急速にアーケードゲームとゲームセンターとハイスコアに接近していったのは間違いがない。
彼との遭遇が先か、私がベーマガを買ってゲームライターという存在について知るようになったのが先か、その辺りの時系列は記憶がおぼろげで不明なのではあるが、
ともかくたまたま地元で知り合いとなった高校生のスコアラーが、実はベーマガの攻略ライターだったというのが私にとっては大きかった。
地元では駄菓子屋にもハイスコアがある店があったが、上記SHO氏とよく遭遇をしていたゲーセンの一つにもハイスコアボードを設置してもらっていた。
そこにはそのCPMというサークルの人たちが何人か出入りをしていた。
中学1~3年の頃は足立区のゲーセン数か所と、ツキイチぐらいで遊びに行く都内のキャロット(と書くと足立区が都内でないみたいだが、この感覚があったので敢えて書かせて頂いた)ぐらいが、よく行くゲーセンの範囲であった。
今思うとこの行動範囲が出会うスコアラーとも比例していたのだ。
足立区の幾つかのゲーセンと巣鴨キャロットぐらいしか行かなかったので、交友範囲はそこまで。
交友範囲は上記足立区のCPMの方数名とG.M.C.の方数名だった。
正直なところ、このCPM-SHO氏とG.M.C.KOM氏だけでもかなりの字数を書かなければ当時のいきさつを書き表せなというのがある。
ちょっと今の私には書き切る力量はなさそうだ。
まあ中学時代はこういった方々と出会っていたなぁというところなのであった。
SHO氏はVG2の中核メンバーでもあったので、私がわからないながらも当時のいろいろな小ネタを話してくれていた。
また、当時彼はすでにゲーセンのゲームはお金がかかるから、パソコンの同人ゲームで面白いのがたくさん出ているからゲーセンのゲームは全然やらなくなるんじゃないかなと予測もしていた。
予測に反してゲーセンは90年代に向かってまだまだ景気増大の状況ではあったのだが、
ゲームを「お金がかかる楽しい娯楽」と、しっかりとした観点で捉えていた彼の見方に、私は中学生ながらも感心をしていた記憶がはっきりと残っている。
まあ私より4つほど年上の方だったので「生意気なことを言うな」という話でもあるのだが。
もしも今現在遭遇することがあるのならば、「何故当時すでにベーマガのライターをやっていたんですか。」
は是非とも聞いてみたい。
当時は私がそういった根本的な事に興味を抱く事が無く、聞く由もなかったので。
こうしていい大人の年齢になって、初めてそういった気持ちになったというのが今は本当に口惜しいのである。
また、彼は地元の駅前のゲーセンで店員のアルバイトもしていたので、そこでもよく話を聞いていた。
彼が店員になってからは各ゲーム台にハイスコア用のポップを作ってくれて置いてくれたりしていた。
私もドルアーガの低得点スコアを出してポップに飾ってもらっていたりして、
「結構いい低得点だな。巣鴨並み!」
と褒められていた記憶があったりするものだ。(笑)
様々なスコアラーとの縁の切れ目は大体覚えていない。
私とSHO氏の場合はどちらかが地元のゲーセンにあまり足を運ばなくなったというところからだとは思うが、いつ頃だったかが全く記憶にないため、いつの間にかとしか言いようがない。
彼が面白がっていたDARIBALLというパソコンの同人ゲームの話はゲーセンでしていた記憶があるので、それが発売した後であるのは間違いがないのだが。。
そして数年を経た後、久しぶりにお会いしたのはPC-巣鴨店で私がウルフファングをやっていた頃だった。
たまたまABCD4コースとも私がスコアボードに名前を載せていたものだから、
「久しぶりにキャロットに来たら知っている名前が巣鴨のハイスコアボードに載っているとは!!」
と驚かれたのだけは覚えているが、残念なことにその時にどういう会話を交わしたかは全く覚えていない。
少し話は逸れるが、私が幼稚園から小学校までずっと同じ学び舎に通っていた幼馴染みがいるのだが、彼もベーマガ愛読者で一緒に巣鴨キャロットに行っていたものであった。
高校生になった時にも彼とは少しだけ会ったことがあるのだが、その時に「最近はスコアネームが名前っぽくなくてメッセージが込められていたりとか、受け狙いの結構面白いスコアネームだったりするのが流行っているみたいな感じなんだよ。」
というような話をしていたら彼は、
「スコアネームは毎回同じにしなきゃ意味がないのにね」
と、語っていた。
私はメッセージ系のスコアネームも好きだったし、面白いと思っていたからこそ幼馴染の彼にそういった話をしたのだが、
彼のこの言葉は後に上記私のウルフファングのいきさつの時にその意味をよく分からせてくれた。
「中学時代と同じスコアネームだからこそ、SHO氏は私だとわかってくれた」
という事が、その時になってよ~く骨身に沁みてわかったものなのである。
中学生の時に初遭遇した「スコアラー」は、私の人生に様々な教えを説いてくれたのかな。。
と思ったのであった。
ZBL-rajiame 拝