ゲームとハイスコアとスコアラーのブログ

ゲーセンゲームのハイスコアとスコアラーに特化したブログです。

ベーマガ全一100 :1992年8月号

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ついにベーマガ全一の記事も100回目となりました。

 

ベーマガの方はいつでもチャレハイ検索が出来るという事で、あえて画像にして記事にするまでもないかなと思いに至ったのが理由であります。


私生活もこれから忙しくなる予定なので一旦100回目の今回で定期的な更新は停止にしようかと思います。m(_ _)m


ゲーメストの方は引き続き記事を書いていく予定ですので、応援をよろしくお願いいたします!^o^

 

〜〜〜〜

ガンホーキはMFC-軍曹氏。ヒノーズ下井草だったのね。^o^

 

この頃の軍曹は居心地、やり心地の良いゲーセンを常々探し回っているものの、

 

結構PC-巣鴨にも顔を出してきてくれていたのでPC-巣鴨の常連たちでいつもこう言っておりました。

 

「軍曹、またどこで特訓してるのーー?」というような事を。^o^;

 

最近はよく「コソ錬(コッソリ練習の略)」という単語を耳にしますが、まぁ同じことですね。

 

軍曹氏は巣鴨でなくて巣鴨周辺の池袋や大塚から周辺ではありませんが神保町その他にも

 

「連射等の装備がついていて料金が50円」

 

という条件でかつ

 

「ライバルスコアラーがあまりいないゲーセン」

 

という優先順位でお店を探していたかと思いますが、たとえ身内でもこういった静かな情報戦が繰り広げられていた当時が本当に懐かしいのであります。(笑)

 

ここからヒノーズ下井草では軍曹が懇意にしているスコアラーさんは恐らくプレイをしていなかったのでは?

 

と推察も出来るのであります。まぁ、そういうのは当時していたので、今更する事は無いんですけどね。

 

・・・と、MFC-軍曹氏をダシにいろいろと書いてしまいましたが、当時はそういった感じだったなという感想なのでありました。^o^;

 

Sgt.Pepper氏のサボテンボンバーズの99,999,999+αがメチャ脅威に思えるんですけど、

 

それほど騒がれなかった今も当時も不思議であります。

 

サボボン自体が思ったよりは流行っていなかったからなのでしょうか。。?

 

サボボンの1億点プレイヤーが他にもいるのであらば知りたいのでありました。

(前回のG.M.C.R-I氏も1億寸前でしたので、人気ゲームでさえあれば達成者は多数だったのかも知れませんけどね。^o^;)

 

コズモギャングザビデオは1Pよりも2P同時プレイの「KUMA&KIA氏(コンビ結成)」というところに私は着目。

 

当時KUMA氏が巣鴨の軍曹氏に「2P同時、やりましょうよ~~」と、盛んに誘っていたという記憶が残っているからなのであります。

 

まぁ、「盛んに」かどうかは私の目からそう見えただけで、本人同士の間ではそうでもなかったのかも知れませんがね。^o^;

 

スターブレードではCYR-JOOさんが初の全一ですが、神保町のネームはしょうがね~なぁといつも思ったりするのであります。(笑)

 

JOOさんもこの頃はCYRなんですね。^o^

 

他、荏原ゲームコーナーのネームは全て本名となっておりますが、まぁ毎回申請用紙に書く時の担当者の方のひらめきによるところが大きいでしょうねぇ。

 

おそらく書いた方も当時何故このように本名で統一されたのかはわからないでしょうから。。(まぁ、当時のその瞬間のノリとひらめきでしょうなぁと。^o^;)

 

・・・今回も「ハイスコアは見ての通りです!」的な流し見と、

 

スコアネームから思い起こされる私の個人的な所感一辺倒になりましたが、

 

次回に続かせて頂くのであります。<m(_ _)m>

 

ZBL-rajiame 拝

 

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以上全て ALL ABOUT マイコン BASIC Magazine のサイトより。