【昔】
普通にハイスコア争い。 (ハイスコアという記録を介して他者とハイスコアを競う)
【今】
自分との闘い。 (全一という記録、目標との闘い)
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下はe-Sportsとハイスコアをオリンピックのようなものでざっくり例えてみた。
【ハイスコア】
フィギュアスケート、スキージャンプ、スノボ競技全般等、記録系
【e-Sports】
柔道、レスリング、野球、卓球、その他いくらでもあるだろうけど、対戦・対抗戦の系統
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e-Sportsは「時間」「時」の設定が重要な要素を担っている。
何年何月何日の大会を目指して調整とか、制限時間内により多くの得点を獲得するかとか、必ず「時」の制約を受けている。
ハイスコアも昔は月ごとの集計締切日や店舗の開店時間等の時の制約の中で争っていたが、現代では上記2つの時の制約は一応はあるものの、それほど重要な意味をなさない状況となっている。
●つまり「自己による目標設定」により、自由な楽しみ方がしやすいのではないか?・・・と仮説をたててみる。
「全一を更新する」、「全一更新を1か月で行う」、「全一を出せなくても良いからそれに近づくべくプレイを楽しんでみる」、「ただ自己ベストを出していく」
・・・等々、全くの自由だ。(あまり例が挙げられなかったが、上記少しの例ではまだまだ全然偏った楽しみ方であろう)
これらの自由な目標設定は、e-Sportsでも可能であるが、それでも「時の制約」と「相手と勝敗を争う」という制約が、ハイスコアよりもはるかに厳しい中での自由さであろう。
これは自由とは呼び難い厳しさともいえる。
冒頭にも書いたが、ハイスコアも昔は「締切日」と「競技人口の多さ(と言ってもコンシューマーや現在のe-Sportsに比べると遥かに少ないが)」で厳しい争いの時代があった。
あとアーケードゲームという事で、1プレイごとにコストがかかるのも厳しい要素だ。(笑)
この「厳しい争い」の感覚を知っている者は、現代のe-Sportsも楽しめる素養を持っているのではないかと考える。
スコアラーが現代のe-Sportsの何かのタイトルの競技中のプレイ画面を、「見ていて熱いな」
と思えるタイトルのe-Sportsは、
この「厳しい争い」の雰囲気というか、プレイ画面そのものがそういった真剣なオーラを放っているのを感じ取る訳なのだ。
言いたいことはハイスコアというものも、e-Sportsの真剣さや楽しさを充分に含んでいるということだ。
その上で「自己による目標設定」の比重が非常に高くなったという、見方によってはなかなか成熟したジャンルなのだ。
更に好意的な観点でいくと、これは剣道や柔道などの「道」に通ずるようなジャンルとして発展させることも出来る。
要は各スコアラーの取り組み方次第で道にもなるし、単に自己満足の世界で留まってしまうものにもなり得るということなのだ。
これはハイスコアだけでなく、どのゲーム、競技、スポーツでもそうであろうし、そうして見方を広げてみれば、あらゆるジャンルでも当てはまるような話でもあろう。
どのようなジャンルでも取り組み方次第では自分を磨く素晴らしい道具になり得るという事なのだ。
「目標設定」「道」「生き方」等をキーワードに記事を書いてみようと思った現代のハイスコアについてだったが、
他にもキーワードとして、
「コミュニケーション」、「サークル/コミュニティ」、「老後の楽しみ」(笑)等も考えている。
この辺りのキーワードについても稿を改めて書くこととしたい。
ZBL-rajiame 拝