このシリーズは久しぶりです。
先日悪魔城デイトナ(いや、悪魔城は土間土間だった。。と初めから内輪ネタで失礼)の飲み会にて星白金-あつし夫氏と少しお話をした。
と言うか、「あつし君、来て下さい!」と、私が飲み会に呼んでいた。(笑)
そもそもPC-巣鴨に行き始めた頃と、常連になるようになったきっかけや経緯を軽めにお話して頂いた。
軽めとは言え、ゲーセンとは何気なく通うようになるものだから、それが全てと言ってよいだろう。^o^;
結論としては「通学途中に巣鴨駅があった」というのが運のツキなのだ。
そして私とあつし夫氏の「第2期巣鴨黄金期」の時代が合致することを再確認。
私が昔のあつし夫氏の話をきちんと整理し切れいないところから、今回の再確認となりました。
概要としましては、'90年ぐらいにPC-巣鴨が改装をした時があったのですが、
その時にメインターゲットとなる客層を20代以上を中心とした世代にし、
そういったコンセプトでPC-巣鴨が様変わりを遂げたものですから、
その状況についてゲーメストが批判的な記事を書き、後にゲーメストとPC-巣鴨が断絶となったいきさつがありました。
この記事が掲載された時、お店もそうですが、常連の皆様方はもちろんゲーメストに対して激怒をしました。
そしてこの辺りを境にPC-巣鴨の常連さん達が離れつつあったというところまでが「第2期巣鴨黄金期」というところなのであります。
その記事については私も掲載された事はおぼろげに覚えていますが、
まぁ内容としてはゲームセンターの情報誌としてはなかなかあり得ないような内容だったかなと思っております。
が、今見るともしかすると違った感想を抱くかもしれませんので、近い将来に友人にゲーメストを借りて見てみたいなと思ったのであります。
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私が毎日のように行くようになったのはその後のPC-巣鴨でした。
私の場合は大学の通学経路に巣鴨駅があったということでありました。(笑)
その時代になり再び少しずつスコアラーさんが集まるようになってきた頃を「第3次巣鴨黄金期」と呼びます。
巣鴨完全復活の第一弾までが長いのですが、ゲーメストにハイスコアが再掲載されるようになってからなので、
この後少なくとも'94の4月以降の再掲載まで待つ形になったと記憶しております。
(私が'94年の4月頃に個人申請をした事があるため、少なくともこれ以降となるのです)
ハイスコア集計店として掲載されなくなった号が何年の何月号からかは今正確にわからないのですが、
これも近い将来に知人からゲーメストを借りつつ検証をしてみたいと思います。^o^
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今回の記事のカテゴリはスコアラーでなくて雑記か昔話がふさわしいかもと思いましたが、
あつし夫氏から得た話を元に思い出した話という事で、敢えて「スコアラー」のカテゴリにさせて頂きたいと思います。
・・・相変わらずまとまらないのと読みづらい文章なのでありますが、今回の稿はここまでという事で。( ̄▽ ̄)
ZBL-rajiame 拝