思い付くままに当時出会ったスコアラーの事を書き出しているが、今回はG氏の事が頭に浮かび上がった。
G氏は私が当時やりたいなと思っていた事やりづらい事を、すぐに実行してくれるスコアラーだった。
私が「スコアラー名鑑みたいなのを作ってみたいんだよね~」というと、もう次の日からは準備OKの状態でいてくれた。
「ボクは下井草のスコアラーの写真を撮ってきますから、らじあめさんは巣鴨とか他の店舗の写真を担当して下さいよ。」
・・・という話になって、実際に撮りに行くことになった。
当時私がお願いをしやすかった店舗のPC-巣鴨、ゲームコーナーフジ(新小岩)、ゲームセンターポパイ(綾瀬)・・・等のお店に赴き、当時はデジカメが無かったので写ルンですを買って写真を撮ってきていた。
現在も家に残っている写真を見てみると、コミケに出展をしていたKSDを買いに来た知り合いのスコアラーを片っ端から写していたようだ。
結構思い切ったことをやっていたのだなと思った。(汗)
このG氏と初めて遭遇したのは神保町のテクモ直営のゲーセンでだった。
その店舗で私がアルバイトをしていた頃の店長が紹介をしてくれた。
G氏は元々は初代ストIIから腕をならした人物で、店長もストII界隈で顔の広い方だったので、店長のところを訪れてきたG氏を店長が紹介してくれたのだった。
その1~2年後、ゲームでいうと「バツグン」の頃にG氏と再会となった。
ストIIでいうとスーパーストII(Xが付かない方)ぐらいの時だった。
再会してお互いに話も合って、毎日のように二人ともバツグンをやっていた。
下井草からPC-巣鴨にホームグラウンドが変わった・・?
と思えるほどの通いぶりで、この頃の巣鴨のストII勢だったY.N氏とも彼は話をするようになり、HTLの後継サークル的な存在だった「DBL」というサークルで、共にハイスコアをやるようになった。
この時G氏は
「らじあめさん、神保町のテクモが懐かしいですね。人間交差点ですよ。」
と語ってくれたものだった。
この話は他のブログでも書いたかも知れないし、最近でもツイッターでつぶやいていたかも知れない。
何度も何度もつい私が書いたり語ってしまいたくなるように、
それほどこのG氏は私のゲーム人生の中で印象に残る人物であったのだ。
印象にも残ったが私と彼が好むゲームが似通っているというのと、
私が個人的に
「自分と同じぐらいの腕前だ!」
と感じていたので、一緒に攻略を進めるにあたって大いに参考になったというのもあった。
当時はシューティングも様々な機体・キャラクターが豊富に出そろっている時代でもあったので、
お互いに潰しあいにならないようにキャラを分けてスコアアタックを進めていたものである。(これは同じ店でやっていた場合は大抵どのお店でも行われていた棲み分けだったと思う)
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彼はハイスコアだけでなく、ストIIでも対戦相手を片っ端からなぎ倒していた。
Y.N氏をはじめ、元スコアラーの先輩達も、初めのうちは片っ端から倒されていた。
そしてスーパーストIIXが発売になった頃には巣鴨でのXの盛り上がりの中心人物となっていった。
彼とはバツグンから様々なゲームを一緒にやって私のゲームに対する考え方にも大きく影響を及ぼした人物なので、まだまだ語りつくせないところもあるのだが、
彼についてはまた別の機会でも記事を書いてみたいと思う。
バツグンだけでもどうでもいいような事や、スコアラーとしての価値観が変わるようなエピソードまで様々な事を思い出させてくれる彼なのだが、
今回の稿はこの辺りで終わらせて頂くのである。
ZBL-rajiame 拝