ゲームとハイスコアとスコアラーのブログ

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ベーマガ全一14 :1985年5月号

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引き続きベーマガの全一画像からです。

 

ドラゴンバスターの1000万点の初回は2名だったんですなぁ。

 

ドラゴンバスターは発売して1~2か月ぐらいで永パが発覚してからプレイヤーの熱が急激に冷めた記憶があります。

 

私の個人的なゲーム史観では、ナムコはドラゴンバスターから凋落していったという事にしているのですが如何なものでありましょうか。

 

理由はドラゴンバスターが永パだったからなのでありますが。。

 

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当ブログでも前に少し書いたかも知れないのですが、

 

その昔ラジオはアメリカンのパーソナリティの大橋照子さんがアメリカに行ってしまう時のイベントでドラゴンバスター大会なるものが行われていて、

 

そのドラゴンバスター大会の開催前にナムコの社長さんがご挨拶をされてまして、

 

「ドラゴンバスターはナムコを代表するゲームという位置づけで作り上げました」

 

というようなことをスピーチされていたのですが、

 

その大事なゲームが永パでイマイチ流行らなかったという記憶が私にはあるものですから、

 

「ナムコはドラゴンバスターを境に凋落をした」

 

という風にインプットされてしまったのであります。

 

▼ラジオはアメリカン
https://bit.ly/314n1pF

 

そしてその後のディグダグIIやバトルシティー、スカイキッド等の「ファミコンっぽいゲーム」(バトルシティーはファミコンか)で、なんだかナムコっぽくないなぁ等と更に思ってしまった訳なのであります。

 

・・・ちょっと偏見強めですかなぁ。。。。(; ・`д・´)

 

Wikiでナムコの85年のラインナップを見るとATARIと提携したのもこの頃みたいなので、

 

「ナムコっぽくない」のに拍車がかかっていたのかもしれないですね。

 

▼バンダイナムコエンターテインメント発売のゲームタイトル一覧
https://bit.ly/2YlSjuh

 

まぁ我が街足立区のサンシャインゲームセンターはATARIゲームは大歓迎のゲーセンでしたので、

 

ペーパーボーイやインディ・ジョーンズ、ガントレットにピーターパックラットは歓迎ではありましたが。

 

(と、言いつつまともにやったのはペーパーボーイとインディ・ジョーンズぐらい。^o^;)

 

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話を戻しまして。。

 

他1985年5月号の個人的な見どころは、

 

「VERTEXの活躍」と「パックランドのオール1」と、「忍者くんのカンスト(これ、すげーなぁ~~~~!)」、

 

「WINNERやBROS、FAMK等のハイスコアサークル名が目立ってきた」

 

等ですが、スパルタンXの「Anti-VG2の会」ってPC一番街だというのに誰なのだろう?とか、

 

ディグダグIIの93600点での全一は大安売り過ぎないか!!?とか、

 

結構気が付いた方が良いネタが多かったのだなと思いました。(笑)

 

・・・いつもながら取り留めもない個人的感想となり恐縮なのでありますが、

 

本日の稿を完了とさせて頂くのであります。<m(_ _)m>

 

ZBL-rajiame 拝

 

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以上全て ALL ABOUT マイコン BASIC Magazine のサイトより。