【2020/11/29 追記ここから】
1993 年 1 月号の画像が PC に存在しなかったため、 2 月号から画像アップを再開します。
2 月号はゲーメスト大賞発表の号でしたので、振り返る事が出来て良かったなと思いました。^o^
好きなメーカー賞はカプコンが 2 年連続 1 位とのことですが、グラフの推移を数字だけで見ると、ナムコ、セガの票がそのままカプコンに流れたという風に見えるのが面白いです。
票は 1000 票に換算しての数字のようですので、'86 年のナムコの 504 という数が驚異的だと思いました。(単独過半数なのが凄い)
ハイスコア最多 ☆ 獲得賞も非常にアツい。「数々のハイスコアラーを輩出した優秀な掲載店」とありますが、お店と常連スコアラーさん達の努力のたまものだと思います。
他、今回は珍しい告知(読者の皆様へお詫び)がありましたので、議事録的な意味合いでアップいたしました。
現在は NAMCO 松戸店になっている東京ガリバーですが、いろいろ制約が多かったようですなぁ。(千葉県は厳しかったのですなぁ)
(ゲ)屋宅配便ツアーは平和な雰囲気の写真がほのぼのしていていいなと思いました。
☆ベーマガ関連記事☆
ZBL-rajiame 拝
【2020/11/29 追記ここまで】
ドギューンの初回全一はHIM氏であったか!というのは言われてみれば朧げな記憶があったなというのと、
この頃のノーベルの方々なのかヒノーズの方かタローの方かはわからないのですが、(その3つ全てに当てはまる人が一人いますが。^o^;)
大人のスコアネームが流行っていたのだなと思ったのでありました。
少し前の青森のハイローザでもこれ系のスコアネームが有名だったかと思いますが、このブログでは敢えてスルーをしてきてました。(笑)
でもノーベルのスコアネームだとつい一言言いたくなってくる。「しょーもない名前ばっかり考えているんじゃない!」と。^o^;
眺めているとボクの名前もあるので、オヤっと思いました。(笑)
この頃はGAUT(とは越谷用語と言うかNAI氏の特殊な用語なので【NAI式ローカル言語】と言えます)ってつけていたなぁ~と思いました。
格闘ゲームでハイスコアを獲得した場合はスコアネームに一言を添えるとキャラが多いためか幅広いメッセージが表現できるので
格闘ゲーム全般で一言を添えたスコアラーさんが多いですね。傾向としてですが。
達人王は前回に続き2-5の面数ですが、スコアラーは入れ替わって兵庫のベジータ氏。
前回は92年12月号でMFC-GAUT-NAI氏が獲得で、今回の更新はで1ヶ月空くのですが、
当時はベジータ氏が「2-4のクリアは無理だ!」と断言していたらしいことを私が小耳に挟んでおりました。
それを越谷の某スコアラーさんに世間話的に話をしていたところ、
「あれ?NAI藤は2-5行ってた気がするけどなぁ?」という話になったので
「じゃぁやってもらってついでにカメラも回して動画を撮ろうか」
という事になりカメラマンのデューク高沢氏やPC-駒沢の常連さん達らと数名で越谷キャロットに向かい、
「NAI藤、達人王の2-4越えは本当か?」・・・的な遠征を行いました。遠征と言いつつ
私はウチから越谷は電車で30分かかりませんでしたが。。(笑)
カメラを回し、プレイする事90分ぐらいでしょうか。紆余曲折を経つつも2-4に到達。
2-4最後のエリアが当時は復活が非常に大変だったところから「越えるの無理だね」となっていたようですが、
NAI藤氏はいつもの事のように(?)難なく2-4のボスを倒して2-5に到達しておりました。
そして全一が取れるのならば。。。
・・・という事でゲーメストの1992年の12月号にて越谷ビッグワンからの個人申請となりました。
「自分の枠を決めてはいけないんだな」
当時もこう思ったいきさつだったのでありますが、高難易度ゲームの達人王だからこそ、自分の枠を外す作業が必要だったのだと思います。
これはゲームだけじゃなくていろいろなシーンに応用できる話だとも思っております。
そして達人王はベーマガの集計サイトでハイスコアの歴史をたどっていくと面白いのですが、
NAI藤氏がブレイクスルーをしてその後をベジータ氏が追いかけるというような現象が2-5、3-5で発生しております。
このゲームは今だからこそ1000万点プレイヤーが10人超のゲームとなっておりますが、
今の時代のプレイヤーさんが可笑しいぐらいに上手ってことなんですからね。(笑)
そんなに簡単なゲームでは全くないんです。(という事自体が、ブレイクスルーが出来ていない私などがハマる壁とも言えるのであります)
まぁ、昔と今の比較についてはしても仕方がないところも多いので、このぐらいで。^^;
次回に続きます。
ZBL-rajiame 拝