私がハイスコアを頑張っていた時代に最後に頑張りぬいたゲームです。これもメチャメチャゴリ押しパターンで攻略を進めました。^o^;
私たちの世代より若くて上手いプレイヤーさん達が新大久保にあった「ケンタゴン」というゲーセンに多数現れ、凄いペースで攻略を進めていて、
私達と同じ世代のスコアラーは非常に苦しい闘いだったように思っています。
けれども毎月の全一を追いかけていくと、結構古い世代の方々が活躍していたりもするので、苦しい闘いだったのは私だけ・・のようでした。訂正です。^o^;
このゲームで初めて「HI-SCORE CLOSE UP!」に掲載されて文字が大きくなったので個人的にはそれが大満足でありました。
最終面の2周目の7面をクリアできない状況での全一でして、次の月以降の2周クリアと全一の獲得については、ケンタゴンのG.F店員氏に大分後れを取っていた記憶があります。
DAB.S氏、DON氏、G.F店員氏を中心に、ケンタゴン勢は本当に上手すぎて、
「ボクがついていける時代はもう終わった」
と、心の底から思ったゲームなのでありました。
ベーマガのハイスコア集計も99年3月号で終わり、ゲーメストも99年9月30日号で廃刊となり、99年は一気に何かが終わったという感じも持っておりました。
私事ながら、パリティビットも99年の9月か10月頃で退職し、私の人生の節目の年だったのだなぁと回想するのであります。
パリティビットではガンバード2はスコアラーのATARI-K氏の驚きの声が一番印象に残っているかも知れない。^o^;
▼昔話9 :パリティビットでの日常
https://www.high-scorer.net/entry/2019/03/07/000000
~~~~
ついていけないという話を前面に出してしまったところですが、攻略の進め方は冒頭にも書きました通り、ゴリ押しのパターン作成です。^o^;
彩京シューティングというと当時はDAB.S氏も攻略の進め方をかなりスマートに進めていた頃だったので、異常に早い2周クリアで初回の全一を獲得しておりました。
他、私はGAP氏と同じお店で良く練習をしていて、東武線草加駅が最寄の、サムという50円ゲーセンで猛特訓をしていたのでありました。
ここで来る日も来る日も2人で2-7をコンティニューし続けてパターン作成にいそしみました。本当に苦しかった。^o^;
このお店はハイスコア集計店ではありませんでしたが、50円で連射がついていたというのと、GAP氏や私の行動範囲圏内ということで通っておりました。
しかしながら店員さんからは結構煙たがられていたのではないかというオーラを毎日感じておりまして、
例えば私等が連コイン体制に入ると頭上にあった空調がメチャメチャ低温の強風になり、寒くて居づらい環境になったりとかもありました。
GAP氏と、
「明らかにボクらに帰って欲しいって感じですね」
とよく言っていたものです。(苦笑)
というのは、こちらの店員さんはアンチハイスコアの考え方をお持ちの店員さんが当時いたものですから、ハイスコアの為に台を占領するという状況を好ましく思っていなかったようです。
GAPさんとは「誰も他にプレイをしていないのに、嫌がらせっぽくてひどいですよね!!」みたいな愚痴を毎日言っておりました。これは余計な内容になりますかね。^o^;
GAPさんは初めはヘイコブでプレイをしていましたが、あまりにも弱いキャラだったので途中からアインに鞍替えをしましたが、アインでは「ゴッドハンド」と言われるまでの究極的なプレイヤーとなりました。
「ゴッドハンド」の由来はゲームとは別のところからついたのではありますが、当時ご本人は周りのゲームをしない釣り仲間からそう呼ばれていて、それをスコアネームのネタにしたという訳なのであります。
ガンバード2は各キャラの各プレイヤーがそれぞれに特色を出していてそれを見ているだけでも面白いゲームでしたのと、
まだ個人的には心残りのゲームではありますので、また機会があれば再度2周クリアにチャレンジしたいゲームであります。
前述のG.F店員氏曰く、
「2周クリアはパターンを作ればそう難しくはないんですけど、500万を超えたいとなると、私生活にちょっと支障が出てしまうぐらいやらないと出ないですね。。。」
と、彼が言っていたのですから、今の私がやる場合は
2周クリアを目指すだけの楽しいプレイで行きたいと思います。
一応自分のクリアの動画は家に残っているので、リハビリするならそのプレイや、現代のスーパープレイの動画をみてからかな。( ̄▽ ̄)
ZBL-rajiame 拝