自分は何をしていただろうかとふと頭をよぎった。
それほどゲームのプレイに才能もなく、上手さを追求できなかった立場なので、ビデオゲームをやること自体にはそんなにのめり込んではいないつもりだ。
ビデオゲームのプレイの才能のある人達は、ビデオゲームが無かったらどうだったのだろうかというのが私の興味だ。
他のジャンルも同じで、野球が無かったらイチローは何をしていただろうかとか、将棋が無かったら羽生善治は何をしていただろうかというような話だ。
イチローだったら他のスポーツでも同じような実績を上げるだろうし、羽生善治だったらそれこそチェスで同じような実績を上げるだろう。
では他のスポーツも他のボードゲームも全くない世界だったら。。。?
イチローだったらその身体能力や頭脳を、体を使っての何かで世間に貢献しただろうし、羽生善治だったら将棋みたいなゲーム自体を作ってしまうかもしれない。(笑)
そういった才能のある者たちは
「代わりに何かをやっているだろう」
と思わせるが、凡人たる私などは「きっとビデオゲーム自体を作っているよ」なんていうのはとてもとても想像すらできないところである。
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でもですね。
これは今という時代に生まれた者たちの時代的な環境に左右された思考・行動・結果の表れなだけなので、結果自体に大した意味は無いと思うのだ。
その時代でなければ成り立たないだろう、思考と行動が結果を生み出しているに過ぎないのだから。
だからこそ、時代を超えた思考が大事だと思う。とりわけ過去よりも未来が大事だと思う。
今までにないものを「思考」するところから、それに対する行動と結果は付随して来るというところだ。
・・・というところで思わせぶりなのではあるのだが、
今無いものを思考する → 創造力・想像力・イメージング・イマジネーション
が、大事だと思う本日なのであった。
・・・やっぱり創造はアートにつながるということで、人はみなアーティストというものなのだという個人的な感想を最後に、
本日の稿を完了とさせて頂くのである。
ZBL-rajiame (拝)