最近は思いついたことは全てハイスコアに結び付けるようにしている。そうでないとこのブログが続かないからだ。(笑)
今日は道を歩いていて仕事とアートの事が頭をよぎっていた。
私の仕事はシステム開発なので一応は「クリエイティブなもの」という事でアートと結びついた考え方も時々するようにしているからだ。これからはそれに加えてハイスコアも結びつけると言ったところだ。
アートはアートの大家が創りあげたものには、とんでもない値がついている。それらには贋作もあり、当然ながら贋作と真作ではたとえその内容が全く同じだとしても価値の差は言うまでもなく真作には遠く及ばない。
細かいことを言うと実際には目に見える物質的には全く同じものでも真作は全然違うものであるのだが、今回言いたいのは作品そのものよりも
「誰がそれを作り上げたか」
が重要な要素だというのが、この真贋の価値の差についての当たり前ながらの本質的なところであろう。
もしかしたら時々は真作よりも贋作の方が価値があるという事もあるのかもしれないが、アートの常識が分からない私という事で、その辺りの細かいところもご容赦頂ければ幸いである。
冒頭にも書いたがこれをハイスコアにも当てはめると全く同じことが言えるといえば言える。
同じ点数、それ以上の点数のハイスコアがあったとして、それを出したスコアラーによって価値が変わり得るということだ。
アートとは違うところはハイスコアは「記録」を追求する世界であるのだから、完全には当てはまらないし、それどころか「誰が出したハイスコアっていうのは関係がない」という見方も至極当然である。
このブログでは時々主張をするのだが、私がハイスコアをアートや美学と結びつける価値観なものだから、どうしても上記のような事柄についてもリンクをさせてしまうのだ。
ここでいうリンクとは、「アートは誰が作り上げたかに価値の比重がある」=「ハイスコアは誰が出したかに価値の比重がある?」という解釈というか、問題提起なのかもしれない。
アートも今この瞬間瞬間にも若手が新しいアートを創造し、100年後のピカソになるような逸材がいるのかもしれないが、今はまだただの若手だ。(笑)
・・・ということで、日々の思い付きと私の個人的な価値観も、「意図的にハイスコアに結び付けていこう」という試みが、本日より始まったのである。
だがしかし、当ブログのカテゴリもいくつかあるものだから、この試みも日々の思い付きで移り変わっていくとも推測もされるのではあるが、
そこはご容赦頂ければ幸いということで、今回の稿を完了とさせて頂くのである。
ZBL-rajiame (拝)