PC-巣鴨で出会ったスコアラーは大勢いるので【PC-巣鴨シリーズ】になりそうではあるが、
私がPC-巣鴨の常連になっていた時(90年代前半~90年代終わり頃まで)のスコアラーで初めに書かなければならないのは星白金-あつし夫氏だろう。
私はPC-巣鴨では「いつの間にか知り合いになっていた」スコアラーが何名かいる。
まぁいつの間にか知り合いになるのがゲーセンでは普通なのかも知れないが、明確にいつ知り合ったかを覚えていないというぐらいの意味合いで捉えて頂ければ幸いである。
あつし夫氏はそのいつの間にか知り合ったスコアラーの中の一人だ。
ブラックハートをやっていた頃だ。
当時PC-巣鴨はちょうどマニア排除が完了しつつあるような時期だった。
ゲーメストのハイスコア掲載店からも離脱し、ベーマガのみハイスコア申請をしていた時期だった。
他のハイスコア集計店と比べると連射装置等の類は外されており、スコアアタックをやるには他店よりも見劣りがする環境であった。
かつてはイメージファイトのポッドシュートボタンや、ダライアスIIのソフトでない取り付けの連射装置を装備していたことを考えると、スコアラーの目線から見ると隔世の感が当時はあった。
何せマニア排除の方針が続いていたわけだから仕方のない時期であった。
そういった時期に私は大学生となり、念願のPC-巣鴨通いがやっと出来るようになったのだが、かつてのPC-巣鴨の面影はほとんど消えかけていたという訳なのである。
ハイスコアをやるという視点からだと、私が通い始めたころには時既に遅しの感が少なからずあったのではあるが、それでも生き残っていたというか地道にPC-巣鴨に通っていたスコアラーが何名かはいた。
そしてその時期はハイスコアの主力店は都内では町田や荏原や下井草となっていた頃でもあった。
私は大学の通学経路の途中にPC-巣鴨があったため、それらの店舗にはあまり行かず、PC-巣鴨の常連となっていた。
・・・いろいろ話は飛んでいるが、話を少し戻そう。
そういった頃のPC-巣鴨店だったので、ブラックハートはもちろん連なしだった。
でもコスリ禁止の貼り紙はなかったと思う。(笑)
私はボタンをコスるスキルが無かったので、痙攣の連射でブラックハートをプレイしていた。
華麗なるコスりならともかく、武骨な痙攣連射だったので無駄に目立っていたとは思う。
後から聞くにMFC-軍曹氏やあつし夫氏がHTL-Y.N氏に「ブラックハートを痙攣で頑張っている人がいるよ」と、話をしていたらしいのだ。
そうしてブラックハートのスコアがある程度まとまったのでお店にハイスコアをすると、恐らくではあるがその時あつし夫氏は既に店員をやっていたのではないかと思う。
「よく連なしで頑張っているね」
的な話をするところから始まり、徐々に知り合いになっていったかと思う。
・・・という、私本人としても記憶が定かではないが、そんないきさつであつし夫氏と話すようになっていった。
この時期にもY.N氏はPC-巣鴨に少し顔は出していて、同じくブラックハートの連なしの隠れ全一だったりしたこともあり、(要するに、申請はしていないけど私よりは全然先に進んでいて、点数ももちろん高かった。と言うか、全一だった)
その流れでY.N氏とも少しずつ話すようになってきたのではなかろうか。。。
という、自分のことながら記憶が曖昧で自己嫌悪である。
そしてどういった流れだったのかは本当に定かではないのではあるが、あつし夫氏、軍曹氏、Y.N氏やLIE氏らとは飲み仲間になっていったのではあるが、そういった時にもあつし夫氏はとりまとめ役的なところ、裏方的なところをやってくれていたと思う。
・・・今も変わらない。(笑)
PC-巣鴨で出会ったスコアラーは本当に大勢いるのではあるが、皆さんそれぞれ、このような感じで同じ店のプレイヤー仲間として過ごしていくのであった。
ZBL-rajiame 拝