私のスコアネームは、現在というか最後にハイスコアを出した時のスコアネームは、ZBL-らじあめ<拝>だ。
ZBLはスコアサークル名だからともかくとして、「らじあめ」となったいきさつというか、いきさつらしいいきさつは無いのだが、
今、個人的な理由から英語の学習をしていて、「400%学習」という学習方法が出てきて、
「そう言えば私の初めのスコアネームは【ラジアメ100%】ってしていたな。
今度はらじあめ400%にでもしてみるか。」
・・・等と思ったから由来というか、少しだけエピソードを書き留めたいと思ったので、この記事を書いている。
ラジアメ100%というのは、「大橋照子のラジオはアメリカン」という80年代初めから90年代の中ごろまで放送をしていたTBS系のラジオの深夜番組名で、
ナムコが提供だったために当時のゲームファンやナムコファンの間ではそこそこ名の知れた番組だった。
私は他にラジオ番組を聞く習慣がなかったのだが、番組の構成作家の鶴間さんがコサキンとかの構成もしていたのでそこそこ面白かったのではないだろうか。というか、私は好きだった。(笑)
照子さんの渡米に伴い番組が終了の危機となり、しかしながら新しい名前の番組として
生まれ変わるという話があったのは、当時のラジアメリスナーの方であらば、おそらく知っているのではないかと思う。
そのときの新しい番組名が当初は「ラジアメ100%」と言われていたのであるが、鶴間さんお得意の(?)ボツ企画となり、新しいラジアメは普通に「斎藤ひろみのラジオはアメリカン」になった。
そしてその名残からか、ボツ企画の亡霊とでもいうものなのだろうか、「ラジアメ100%」という単語は当時のリスナーたちが鶴間さんをいじるときの常套句となっていた。
私も妙にそれが気に入っていて、地元のゲームセンターでハイスコアを申請する時に「ラジアメ100%」と記載をしていたのだった。まぁ、これが由来と言えば由来だ。
そのうちラジアメという片仮名が平仮名になり、らじあめというネームの前に記載をしているゲームサークルはいろいろと移り変わっていったのであった。
話は飛んで90年代の初め頃となるが、HTL-Y.N氏とよくPC-巣鴨でよく顔を合わせるようになり、その頃私たちはストII~ストIIXまでを対戦でよく遊んでいたものだった。
私の対戦の戦いぶりの甘さがY.Nさんには大そうお気に召さないようで(と言うか実力がないのでただ単に弱いだけなんですが)、
「らじは変な動きで相手を翻弄するタイプだけど、いかんせん詰めが甘い!らじあめでなくてらじあまだ!」
・・・と毎日らじあまらじあまと言われ続けたおかげで、当時のPC-巣鴨の常連のみなさんにもらじあまと呼ばれていたのであった。
自分でも覚えていないぐらいに多くの人かららじあまと呼ばれていたらしいことが、数か月前にPC-巣鴨の現役の店員さんから借りている、「90年代初めの頃のPC-巣鴨のハイスコア申請ノート」を見て読み取れた。
それが懐かしかったのと、冒頭の英語学習の400%という単語からラジアメ100%という単語に頭の中でリンクをしていった。。。
というのが、今回の記事に至ったいきさつというわけなのである。
・・・しかし、ゲームタイトルで誰が「らじあま」と呼んでいたかは私的には一目瞭然なのも懐かしい。
ついでとなるが、その画像も掲載。(画像が荒くて申し訳ない)
ZBL-rajiame 拝